モシエノ大學のこと・私の考える働くこととは

April 6, 2019

先日、酒田市にあるミュージックファクトリーというライブハウスにて、モシエノ大學という人生とシゴトをテーマにした月に一回のトークライブイベントに弊社代表の私伊藤が講師として登壇させていただきました。

 

 

 

 

 

はじめにオファーを受けたとき、え、私なんかの話を聞きたい人がいるんだろうか・・・と思って戸惑ってしまいましたが、主催の方の、なぜこのイベントを始めようと思って、運営しているかのお話を詳しく聞いた時にすごくその話に賛同できて、私にできることが何かあるなら!と思ってありがたくお引き受けさせていただきました。

 

 

 

 

今日はそのことと、私が思う仕事や働くこと、信念について書こうと思います。

ちょっと長くなると思うので興味のある方は最後までお付き合いください・・・

 

 

私は大学を出ていません。

 

 

よく、知り合う方々に大学はどちらですか?

こちら(庄内)の方ですか?

若いのに一人で会社を経営されていてすごいですね、経営についてはどうやって勉強されたのですか?

 

 

と聞かれるのですけど、その度に特に人に言えるほどの経歴もない、学歴もない私はコンプクレックスを感じて答えるのがとても嫌でした。

 

 

 

私は酒田市出身で東京には出たことはありません。

(私なぜか初対面の方に東京出身だと思われるという謎があります)

中学校も高校も普通レベルの学校で、勉強がとにかく嫌いでしたので成績もあまり良いとは言えない生徒でした。

性格もいたずら好きで自己中心的、感情の起伏もわりと激しいタイプで親を含め、先生や友達など本当によく人を振り回していたと思います。

 

 

勉強よりも友達と遊ぶことや彼氏のことで一喜一憂するごく普通の学生でした。

 

 

 

 

そんな高校二年の春、家庭の特殊な事情や突然ある病気にかかってしまったことで、これまでの好き勝手に生きてきた自分の中の世界が急に何もかも失われた感覚になり、自分の中の「普通」という生活ができなくなってしまったことで、心身ともにバランスを崩してしまいます。

 

 

 

悩みや苦しみを誰にも打ち明けられなかったその当時、学校のある先生に助けられたことがあったんです。

あまりはっきりとは覚えてないんですけど、授業が終わって部活の練習のあとだったと思います。

 

病気のせいで通学で自転車を乗ることさえも禁止されていて、部活(一応運動部でした)なんてとてもできる状態の体ではなかったんですけど、たぶん行き先のない自分の感情を持て余して勝手に一人で練習してたんですよね・・・言っても聞かない状態だった私のことを知っていてだと思うのですけど、あまり無理するなよ、とだけふらっと声をかけてきた先生がいたんです。

 

部活の顧問の先生ではなかったんですけど、いつもからかってくる仲の良い先生で、まあ多分いつも一人で練習している私を気にしていたのだと思います。

その時になぜか私は泣いてしまって、その後学校が閉まるまでしばらく体育館でその先生は私の話を聞いてくれました。

 

 

その時に、私もこういう先生になりたいって思ったんです。

 

 

それでそこから苦手な勉強も頑張って治療も真面目にするようになったのですけど、スタートダッシュが遅すぎたせいもあって入試まで体調も良くなることはなく、結果入りたいと思っていた大学には落ちてしまいました。

 

 

 

 

しばらく呆然とやる気のない日々を送っていた中でそろそろ卒業も近づき、いよいよ担任の先生にクラスで進路が決まってないのはお前だけだからなんとかしてくれ、卒業までに進路を決めてくれと言われ、たまたま薦められた宮城県にある航空専門学校に進学することになりました。

(いきなり航空専門学校とか、話飛びすぎですみません・・そこは割愛します)

 

 

 

専門学校に入ってしまえば友達もでき、アルバイトもしてみたり、勉強も合っていたのかとても楽しくて色々な資格も取り、これまでの自分を振り切ったように生き生きと過ごしていました。

 

 

 

そして勉強していく中で航空貨物や運航管理、航空機やヘリコプターなどの整備の道に進もうと決めたのです。

 

 

その後、色々な縁あって地元の庄内空港のANAに就職が決まったのですが、希望していた運送課や運航管理の課には配属されず、接客業だけは絶対に無理だと思っていた旅客課に配属されてしまいました。

 

そこから私の接客業人生がスタートします。

 

 

 

社会人生活がスタートしたと思えばいきなり厳しい職場で(すみません)、周りのお姉さま方は綺麗で仕事のデキる女感もすごくて頭の回転も早い、とんでもない場違いなところに来てしまったと思っていました。

ANAの制服を着て仕事をするので、もちろんANAという会社の教育を受けるのですが、航空法もそうですし保安の勉強、航空運賃の勉強、危険物の勉強、アナウンスの研修、荷物の預かり方、お金のこと、セキュリティのこと、チェックインのこと、接客や接遇スキル、正しい日本語、国際線、国内線・・・他にもものすごくたくさん!!飛行機一機を飛ばすのにこれだけやることがあるの?というくらい。

 

 

座学を受け、それがOK出れば今度はカウンターに出てOJT、それがOK出れば一人立ちの試験、合格すればやっと一つの仕事が一人でできるようになる。。。この繰り返しで何年かかけてやっと全部の仕事が一人でできるようになれる、そんな世界でした。

 

一人立ちしても、自分一人の判断ミスのせいで飛行機が遅れ最悪乗客全員に迷惑をかけてしまうこともある、職場だけではなく他の空港職員にも迷惑をかけてしまうという危機感や緊張感、自分の至らなさでお客様の望んでいることがわからなくお叱りを受ける、ミスをしてお客様や上司に叱責されてしまう、飛行機が飛ばなかった時のお客様対応の地獄さ、日々変わっていく航空業界のルールについていくというのも精一杯で、本当に文字通り泣きながら徹夜で勉強するなんて当たり前の日々でした。

(その頃で8キロ体重が減っていました・・・)

 

 

 

辛い研修時代に、よくターミナルビルから外で作業着のつなぎを着てヘルメットを被って、飛行機に触る仕事をしている他の課の男性たちを見て(女性はいなかったので)、自分もその仕事に就くはずだったのに、こんなはずでは、私何やってるんだろう・・・と思ってぼーっと眺めていたことを覚えています^^;

 

 

その頃、同じ職場の方と結婚しました。

その時にウェディングプランナーという職業を知ります。

 

 

 

それでも仕事も楽しくなって、接客業が板についてきた私は、もっと外の世界が知りたい、一人の人ともっと深く関われる接客というものを勉強したいとホテル業界に転職します。

 

 

 

 

私の場合は初めから営業部に配属され、すぐにウェディングプランナーとしての研修が始まりました。

(だいたいの場合は配膳などのサービス部でサービスやホテルの基本的な勉強をしてから配属先が決まるのですが、私の場合は専門学校時代に仙台のホテルでサービスのアルバイトをしていたので免除されました)

 

 

 

初めて結婚式の担当を持った時のことは今でも覚えています!

プレッシャーや緊張しすぎて気を張り詰めすぎていたからか、翌日発熱して会社を休みました笑

 

 

 

 

それから7年、楽しい時も苦しい時も仲間や各プロフェッショナルたちとチームとなって一つのことを創り上げるという楽しさや難しさ、色々な家族の形や色々な結婚式に携わらせていただく中で夢中で走り続けてきました。

その中で自身の妊娠出産、育児も経験します。

 

 

 

やりがいと引き換えに、忙しすぎる日々に休むということが本当の意味で出来なくなり、そしてブライダル業界は流行りの業界でもあるのですが、変わっていく時代背景など色々と思い悩むことが多くなり、一度ちゃんと休んで思うようにできなかった育児に専念することと、自分なりの考える結婚式のあり方を模索して時期がきたらフリーランスとして一人でやってみようと決心し、退職します。

 

 

 

そしてmarrydesignsという屋号をつけて開業届を出し、フリーのウェディングプランナーになりました。

時代背景やタイミングも運が味方してくれたのか、その後すぐお客様に恵まれここまで来ることができました。

 

 

 

フリーのプランナーというのは珍しいですし、特にここ庄内などの地方では認知度がとても低いので今でもそうですが色々と苦労もありました。

思うように行かず悔しい思いをしたことも、失敗したり心無い一言で傷ついたことも落ち込んで泣いたこともあります。

 

 

 

私は空港で働いていたときもホテルに勤めていたときも、管理職についたことはありません。

マネジメントや経営の勉強をしたこともないです。

いつも壁にぶつかるたび、悩んで考えて相談して一人でわからないながらに勉強してきました。

 

 

 

それでも、こんな私(会社)に結婚式の大金を預けて頼ってくださるお客様がいる、求めてくださり信頼してくださり、任せてくれて、結婚式を挙げて、頼んで本当によかったと泣いてお礼を言ってくださるお客様方をみて、これまでを振り返り、ああ私はこのために仕事をしているんだな、人に尽くすということがこんなにも難しくてでも嬉しくて、人生を豊かにしてくれる、生きるって働くことなんだなと私なりに思ったのです。

 

 

 

 

今では相棒の頼れるプランナーも入ってくれて、こんな私を日々助けて支えてくれます。

私の考えるブライダルのあり方や考え方、世界観に賛同してくれて、センスやスキルあるもはや家族のように思えるパートナーたちに囲まれ、皆で一緒にお客様のことを考え喜んだり悩んだりしながら働いているこの日々を、今はとても愛おしく思っています。

 

 

 

 

今年に入ってからは、デザインからオリジナルで作るウェディングドレスブランドを立ち上げ、海外ウェディングの事業もはじめました。

どれも、これからの時代のお客様に合わせた提案ができると考え、始めたものです。

どのサービスも、私たちにしかできない価値があると思っています。

 

 

 

仕事というのは、自分の持っている経験や知識、スキルを提供して人を助けることの対価としてお金をいただく、働くことを通して自分や他人の人生を豊かにできること、なのかなとモシエノ大學ではお話しました。

 

 

 

最後に、フリーランスという個人事業から会社にした理由は色々ありますが、今は会社の代表として私がやらなければならないと思っていることは、大きく一言でいうなら社会貢献だと思っています。

普通で特技も学歴もない、周りに迷惑をかけ続ける人生を送っていた私を育ててくれた社会に恩返しという意味でも貢献したい。

 

 

 

会社組織なので、もちろん利益を出して社会に貢献するという意味でもそうです。

適正な価格でいいもの、いいプランを売ることでお客様に喜んでもらうこと、それを通してパートナー企業の皆さんの利益を生み出して守ること、若手の各パートナーたちも多いのでブライダルのプロフェッショナルになれるよう彼らを育てること、一緒に働き関わってくださる周りの方々も私たちの創る結婚式という事業で心も人生も豊かになってもらいたいということ、そして何よりも来てくださるお客様を幸せにできるプランを出し続けていかなければと思っています。

 

 

 

 

 

これは、皆の前で自分のことを話すというこの機会がなければじっくりと自分の人生や考えを振り返ることは出来なかったと思うので、記録として自分のために書いたことでもあります。

でも、私のことや私なりのこの考えや信念が誰か一人にでも伝わったならいいなと思います。

 

 

 

 

 

時代に合わせて柔軟に素直に、でも心を尽くすということを大切に、いつまでも求め続けられる会社でありたいです。

 

 

長くなりましたが、、今後ともマリーデザインをどうぞよろしくお願いします!

 

 

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